約物部門の光と影
3つのタイプフェイスに関するコンペがある。石井賞創作タイプフェイスコンテスト(主催・写研 1970年〜)、アジアタイプオリンピアード(主催・リョービ 1980年)、モリサワ賞国際タイプフェイスコンテスト(主催・モリサワ 1984年〜)の3つである。 タイプオリンピアードは1回だけだが、石井賞とモリサワ賞は現在も定期的に開催されている。石井賞には、和文部門と欧文部門(第3回〜第9回)、かな部門(第10回〜)などがあり、モリサワ賞には、和文部門と欧文部門がある。 石井賞には約物部門というのがあった。残念なことに、第3回(1974年)から第8回(1984年)まで募集があったが、それほど応募は多くなかったようで、入選した数も少ない。たぶん、それがこの部門が無くなった要因だろう。地味なタイプフェイスデザインの中で、さらに地味な約物にスポットライトを当てたことの意味が理解されなかったのか。 主催者としても、文化的価値だけで継続することは難しかったのだろう。タイポグラフィの実験にこそなれ、実際に商品化されることはほとんどないと思われるからである。
使い方の規範
新しい約物を提案しようとする前に、現状について少し考えてみたいと思う。独り善がりというのも無謀な話だ。約物の機能を分析する必要があるのではないか。
約物(やくもの)とは印刷用語で、「印刷で、文字・数字以外の記号・符号活字の総称。句読点・括弧(かっこ)・数学記号など(大辞泉)」とある。国語表記上は、くぎり符号という。文部省教科書局調査課「くぎり符号の使ひ方〔句読点法〕(案)」(昭和21年)で定められている。
約物の使い方は、書き手の言いたいことを読み手に伝えるための重要なポイントであることに間違いはない。現状を考えると、かなりの程度まで守られていると言っていいと思う。書き手と読み手の間に共通の約束がないとコミュニケーションが成り立たないのだから。
外国では、はっきりした規範を持っているものも多いという。日本語では難しいのか、文部省でも柔軟な姿勢をとっているそうだ。私も、読点(、)を入れる位置や括弧の種類など、いい加減なものだ。
ワープロやパソコンが普及してきた今、組版ルールは無きに等しいと言われている。最近の、あのだらだらしたメリハリのないしゃべり方に共通するのだろうか。
それにしても、JISの約物まわりは摩訶不思議である。収容字種や用途など、何かと理由はあるのだろうが、わからないのは問題だ。これが最大の原因かも。何とか整理してほしいところだ。
少なくとも、約物のそれぞれの成り立ちや意味を再確認することが必要なのではないだろうか。約物こそ、組版ルールの規範となるものである。
朗読と組版
国語の授業を思い出して、声を出して読んでみよう。朗読のうまい人は一本調子ではなく抑揚のある読み方をしていることに気が付くだろう。それによって、さまざまな表現が伝わるのである。
文章を読むときに時間的な「間」が生じる。それを空間的な「間」に置き換えて表現している。それを表現するのが、約物の役割ではないだろうか。「間」の種類によって、「間」の取り方が変わってくる。例えば、句点(。)の方が読点(、)よりも長い「間」を意味している。4分休符と8分休符の関係であろう。中黒(・)はさらに短い「間」にあたるだろう。
さらに長い「間」を表現するために、行を変えたり、1行分空けたりする。時間を空間に置き換えているのである。こうして考えてみると、句読点の後ろの空きに重要な意味があるような気がしてならない。
一口に括弧類といっても、その機能によって色々な「間」が表現されている。括弧で括られた部分をはっきり区切りながら、文脈の流れを止めない役割を担っているのである。代表的なものを取り上げる。
かぎ括弧「」は、会話や引用、題目などに使われ、文脈の中での独立性が強い。感情を込めたり、大きめに発音したりするなど、読み方の調子を変えるところであろう。二重かぎ括弧『』は、かぎ括弧の中の区分に使われるので、それほど強くはないのだろう。
パーレン()は、説明・補足・挿入などに使われるので比較的弱い区切りだと思われる。少し声を落として読めばいいのだろうか。もしかすると、読まないこともあるかもしれない。
亀甲〔〕は、引用文の中の補足説明やパーレンの中の区切りに使われる。パーレンの代用としての役割を持っているように思う。かなり弱い区切りなのであろう。
その他にも色々な種類があるが、私が文章を書くときには機能と形態の関連がよくわからないで、いい加減に使っているのが現状である。これらを、歴史的なことにとらわれないで整理してみる試みも、必要ではないだろうか。
感嘆符!とか疑問符?は、感情を表現する。語尾を強く言ったり上げたりする。複数を並べたり、斜めにしたりして、その大きさを表そうとする。最近の女子高生などでは、多様な約物が使われるようになった。これらの約物が市民権を得るようになると表現も豊かになると思うのだが。
また、強調表現として注意を引くために、傍線(下線)・傍点(圏点)・波線などが使われる。朗読の場合には、少しゆっくりめで少し大きな声になるのだろうか。
なか線(ダッシュ)—は、主に余韻を表現する。会話の中でちょっと口ごもったりする言葉にならない場面の微妙なニュアンスを表すのだ。
点線(リーダー)…は、無言の時や省略した時を表す。声にならない時間を、空間に置き換えようとしているのである。
時間や感情ではなく、表記として特定の意味を表している約物もある。
なみがた〜は「…から…まで」、スラッシュ/は「…または…」という意味を表すときに使うようだ。
矢印↓も同様で、変更、参照などの概念を表している。+−などの算数記号を流用してみるのも面白いかもしれない。表記記号の特徴といえるもので、音声で表す以上の意味を付加できるのだから。
印物は、個条書きのときや注意を向けさせるときに使用する。丸印○●◎・三角△▲▽▼・四角□■◇◆・米印※・アステリスク*・星印☆★など多様である。
デザイン(大きさ・太さ・位置)
前項では、音声と組版の関係から約物を考えてみた。ここでは、書写とタイプフェイスの関係でとらえてみたい。タイプフェイスデザインの立場から、約物類をどのように考えてデザインしているのかを述べてみることにしよう。
約物類は、漢字やかなといった主役を引き立てながら目立たず、しっかり仕事をしなければいけない「影の主役」といったところだろうか。
まず、約物類を手書きでどう書くかを思い描いてみよう。漢字、かなを書くときと気分が異なるようだ。少なからず、約物として意識しているように思われる。例えば楷書で書いたときでも、緩急をつけることはなく、一本調子でつーっと筆を運ぶのだ。
明朝体でも、句点(。)は幾何的な円だし、かぎ括弧「」にウロコはつかない。ゴシック体でも同様である。楷書体などでも、手書きでデザインしているものは少ない。その方が、かえって馴染んでいるようにさえ思える。
かといって、すべての書体に共通するデザインということでもない。特に見出し用書体では、イメージが違うと違和感があるものだ。例えば、ボカッシイだと、約物もトーンになっていないと変だ。
その書体の中での調和を保ちつつ、機能の違いを際立たせなくてはいけない。基本的な形状の中にどう雰囲気をたたき込むかがキーポイントである。いつも一番悩むところである。
ただ、矢印や印物などを書体ごとにデザインしなければいけないかどうかは疑問が残る。これらについては、わざわざ新しいものを作らなくてもいいのではないだろうか。
次のステップは、大きさや太さである。「存在感があって控えめという大きさ、太さ」といえば簡単だが、これは結構難しいことなのである。数値的に基準があるわけではないのだから。太い書体の場合、括弧類の太さを揃えるかどうかは好みもあり、意見の分かれるところだ。
実際には、漢字、かなと並べて見て、自然に感じられる大きさ、太さを確かめながらデザインしていくわけである。デザイン上の見え方と組版上の見え方が違っているので、まさに職人芸的なところでもある。
この感触をつかむために、太さや大きさを少しずつ変えたサンプルを作成して確かめるといった確認作業を進めているのである。単純なわりに、手間がかかっているのである。
最後のステップは、位置の問題である。これもまた絶対的な基準はないが、形状も単純なので特に位置で悩むようなものはないだろう。
句点と読点は、漢字の標準的な字面のアキに合わせて設定する。言うまでもなく、縦組は右端に、横組は下端に置く。括弧類も同様で、漢字の標準的な字面が一応の基準である。その他の約物は、漢字と同様で天地左右中心のものが多い。
ただし、タイプフェイスとしての問題ではなく、かぎ括弧を少し張りだすようにしたいとか、横組の場合の「す」と「。」の間を詰めたいなど、組版上の調整の問題は残る。
新しい時代の約物
もちろん、ただ金属活字の時代に帰ればいいというものではない。用途や意味を踏まえた上で、時代の変化などによって、従来の基準にはない約物が提案されて、市民権を得るようになってもいいはずである。思い付くままに、挙げてみることにしよう。
例えば、女子高生にみられる感情表現を意図した新しい約物や、算数記号などの転用による表現力の拡大。ワープロ文書などで多用される約物の組み合わせによる暗号も、考え方によれば新しい約物の可能性を示唆しているように感じる。
形態としての約物というよりも、空間処理でも試みができる。時間に対応して、句点の空間の方が読点の空間より大きく、かぎ括弧の空間の方がパーレンの空間より大きくといった具合にである。
第8回石井賞 創作タイプフェイス コンテスト 約物部門佳作
佐藤豊 作品
◇制作意図
甲骨文字やエジプトの象形文字などから感じる、あの楽しさやおおらかな雰囲気を現代の文字組版に再現するための絵文字約物。
そういう意味でも、約物部門が無くなったのは残念だ。私としては、遊びで時々試してはいるのだが…。また、新しい字種を容易に追加でき使用できるシステムも欲しいところである。
もうひとつ思っているのは、デジタル時代のタイポグラフィである。印刷上での約物を、そのまま使わないでもいいのではないか。従来の考え方にこだわらない、もっと斬新な表現方法が考えられてもいいのではないかと思う。
約物を「間」の表現であるとしたら、時間をそのまま表現するやり方は考えられないだろうか。色や照度に置き換えたらどうなるのだろう。ある学生の研究発表を聞いて、そんなことを考えた。
新しいタイポグラフィは(昔からなのだが)、テクノロジーとの融合は切り離すことはできない。タイプフェイスデザイナーが、色々と実験しても独り善がりになってしまうだけだ。
国語学者、教育関係者、編集者と、タイポグラファ(オペレータ)、技術者、プログラマ、それにタイプフェイスデザイナー達が共同して、研究していく必要があるように思われてならない。
参考文献
- モジカ8号(1997年7月)
符号の用い方 稲垣滋子 - モジカ1号(1995年3月)
てん、まる(句読点)の発生と歴史 長村玄
句読点のデザイン 鳥海修 - モジカ2号(1995年8月)
括弧類の役割とその組版 矢作勝美
括弧類のデザイン 鳥海修 - タイポグラフィックス・ティNo.183
タイポ・キーワード〔約物〕 小塚昌彦