紙と印刷の運命的な出会い

紙は紀元105年に後漢の葵倫という宦官によって発明されたと言い伝えられています。

しかし、それより遥か昔の紀元前に作られた麻の繊維でできた紙も発見されています。日本に紙の製法が伝播したという正式な記録は「日本書紀」に見られる「610年に曇徴(どんちょう)という高麗の僧が渡来して紙の製法をもたらした」という記述です。

もっとも、それ以前の4〜5世紀ごろには別のルートからすでに技術が伝わっていただろうともいわれています。細かいことはともかくとして、紙という媒体が登場して以来、ありとあらゆる情報が紙の上に記録され続けてきました。

その辺りの様子を8倍速モードでざっと眺めてみると……712年の日本では太安麻侶が稗田阿礼によって延々と語られる旧辞を紙の上に記録するという口述筆記の仕事をしてます。

この調子では締め切りに間に合いそうにないと苛々しているようです……

1003年の日本では紫式部が日記をつけています。覗いてみると「....いろいろの紙選りととのへて、物語の本どもそへつつ、ところどころにふみ書きくばる...」と、中宮さまに納品する本の制作が間に合わないのであちこちに書写の外注を手配したというような内容のようです……

12世紀から13世紀頃になって初めてシルクロード経由で紙が伝わったヨーロッパでは、15世紀になってやっと皮紙から紙への転換が完了したばかり。ドイツの写本工房では、ひとりが読み上げるテキストを何人もの写字生がゴシック風の文字で一斉に紙に書き写すという方法で本を作っています……。

紙が普及したとはいえ、人が手でせっせと文字を書き写すことが主流だった頃は、当然ながら本も高価な貴重品でした。紙という便利な媒体の登場で新たな段階を迎えた情報伝達も、その後の発展は緩やかなカーブを描いて徐々に進んだと考えることができます。

そんな中で登場したのが印刷という新しい技術でした。特に重要なのが 1450年にマインツのヨハン・グーテンベルクが発明したといわれている活版印刷術です(実際には、すでに11世紀の初頭に中国で陶製の活字が発明されており、14世紀には朝鮮半島で金属活字による印刷が実用的に行われていたという記録がありますが、いずれも世界的規模には普及しなかったので、ここではグーテンベルクが発明したことにしておきましょう)。

活字で版を組んで印刷する活版印刷は、木版や銅版では不可能だった効率のよい大量生産を可能にしました。これによって、印刷物による情報伝達が飛躍的な進歩を遂げたのでした……めでたし、めでたし。と、何やらわけのわからない話になってしまいましたが、ここで重要なのは紙という“媒体”と印刷という“技術”の関係です。

優れた情報伝達の媒体としての才能を秘めながら、その才能をフルに開花させてくれるパートナが現れず、長いこと独身生活を余儀なくされてきた紙。グーテンベルクの功績は、そうした不遇の紙に印刷という究極の伴侶を紹介したことです。

早くも15世紀には「ニューズシート」と呼ばれる新聞の原形がドイツで生まれています。その後、着実に発展を続けた新聞が17世紀のイギリスにおける市民革命で大きな役割を果たし、19世紀の日本でも自由民権運動の広がりを招きました。

さらに、雑誌や書籍といったさまざまな出版物が加わり、産業革命から資本主義経済の成長へという流れの中で、ジャーナリズムとマスコミュニケーションが成立。安価に大量に生産できるようになった書籍が教育の普及に大きく貢献しました。

また、19世紀に本格的になった新聞広告やポスターによる宣伝は広告産業へと成長し、大量消費社会の形成の推進役となります。そして、写真技術の進歩によって写真というビジュアルな情報を紙に印刷できるようになり、19世紀の終わり頃には写真を掲載した新聞が続々と出現……というわけで、近代における急速な情報伝達の発展は、紙と印刷の運命的な出会いによって始まったことがわかります。

紙と印刷が迎えた養子

ある意味で、優れた媒体として情報伝達の発展の歴史の中に登場した紙も、印刷というよき伴侶が現れるまでは才能をフルに発揮することができなかったといえます。その運命的な出会いから数百年の間、紙と印刷の夫婦は力を合わせて家業である情報伝達の発展を支えてきました。

長いこと子供のいない共稼ぎ生活(元祖DINKS?)だったこの夫婦が、20世紀に入ってひとりの養子を迎えます。それが、新しい技術である電子メディアです。

この電子メディアは、家業を継いで情報伝達に飛躍的な発展をもたらすだけの潜在的能力を備えています。しかし、この息子は母親である紙にべったり甘えたままいつまでもひとり立ちできずにモラトリアム状態のまま。

父親の印刷の方も結構だらしなくて、仕事を手伝えばそこそこ役に立つ息子に満足しており、親子三人いつまでも仲良くやっていこうなどと考えているようです……というように、無理矢理ホームドラマ風に図式化してみると、現在の電子メディアの抱える問題が理解しやすくなるでしょう。

このモラトリアム息子を自立させるために必要なのは、ずばりガールフレンドです。それは、結婚して家業を一緒になって盛りたててくれる人でなければなりません。母親に似た性格でありながら、電子メディアである彼の特長をさらに引き出し、一人前の自立した男にする能力を備えていること。

それはつまり、紙でありながら電子的であるということです。1997年に電子メディアは初めてのガールフレンドに出会います。それがPDFです。「まずはお友達から始めましょ」といって付き合い始めたばかりの二人が結婚することになるかどうかは、まだわかりません。

しかし、今はまだ未熟かもしれませんが“内容のポータビリティ”と“表現のポータビリティ”を備えているPDFは、電子メディアに相応しい伴侶のように思えます。

「紙の消費量と文化の高さは比例している」と言う人もいますが、それは正確な表現ではないでしょう。「文化の高さは情報の伝達と交換のレベルによって決まる」と考えるべきです。

インターネットが普及し、部分的にせよ電子的な情報の流通と消費が実現したことが、情報の伝達と交換の発展に大きく貢献しつつあることを我々は現実に体験しています。紙と同じ利点を備え、なおかつ電子メディアに相応しい電子的な媒体であるPDFの登場によって、情報の伝達と交換がまったく新しい飛躍の段階を迎える可能性は十分にありそうです。