行き着くところは紙
これまで、電子メディアによる情報伝達の大きな問題点を内容と表現のポータビリティという切り口から考えてきました。このように、情報伝達について突き詰めて考えてみると、ある疑問が頭をもたげてきます。それは、電子メディアを利用している我々の日常的な仕事や生活という現実においては、そんな小難しいことを意識しなくても情報を伝達できているじゃないか、ということです。確かに、我々にとって、情報の内容も表現もポータブルであたりまえのことです。それがあたりまえであるという状況を支えてきたのが、実は“紙”なのです。
情報交換を一身に担う媒体という重要な役割を演じてきた紙。その紙が、電子メディアの時代になってもまだ、同じ責任を果たしてくれています。紙に転写された情報の内容は絶対的にポータブルであり、相手が誰だろうが、どんな環境で仕事をしていようが、気にせずに手渡すことができます。紙の上に展開した表現もまた、完全にポータブルであり、情報の発信者の意図が100%忠実に相手に届きます。紙は、我々が利用している電子メディアによる情報伝達のプロセスのあちこちに存在するポータビリティの欠陥を補っている(紙に相応しく、尻拭いしている)存在だと言っても過言ではないでしょう。普段、我々があたりまえのように消費している紙がなければ、電子メディアによる情報伝達も破綻してしまうかもしれません。
しかし、一度紙に転写された情報は再利用することが難しくなること、紙の大量消費を続けることができなくなってきていることなど、紙には紙の問題点があります。紙に依存している電子メディアの現状を改善するために登場したもの、それがAcrobatとPDFだと考えることができます。次に、AcrobatとPDFが登場する前の紙と電子メディアを巡る状況を考えてみましょう。