冷蔵庫とビールの理想的な関係

この仕事は「パソコンで処理する」とか、資料を「パソコンのデータで保管する」などという言い方は不正確だし、実際の状況からはかけ離れています。これでは、コンピュータについてよく理解していない人(自分では使っていない人)が、コンピュータとは冷蔵庫のようなもので、その中に入っているビールはビール(データはデータ)だから、それを別の冷蔵庫(コンピュータ)に移し変えて冷やす(処理する)ことに何の問題もないと思ってしまっても不思議はありません。

冷蔵庫からビールを取り出して隣りの家の人にあげるとき、自分の家と隣りの家の冷蔵庫の機種には互換性があるのかとか、このメーカーのこの銘柄のビールは果たして相手の冷蔵庫で冷やせるのだろうかなどと考えなければならないとしたら、消費者による全世界的な冷蔵庫不買運動が起きるに違いありません。

ところが、コンピュータの場合は、書類を作成するときに使用したアプリケーションの種類、さらにそのバージョン、データを保存するMOとかフロッピーなどの物理メディアとその論理フォーマットの互換性、さらに相手のコンピュータのプラットフォーム(機種とかOS)がどうのこうのといった、ややこしい約束事に満ち溢れています。実は、このややこしさが、電子メディアが抱える“ポータビリティ”の問題に繋がっているわけです。

アプリケーションの違いという壁

社会的な生き物である人間にとって、ネットワークは生存を続けるために必要不可欠な要素のひとつです(これは決して大袈裟な言い方ではないはず)。集団構成単位のひとつである会社がコンピュータ同士を接続したネットワークを構築する主な目的は、情報や知識(さらにプリンタなどの資源)の共有でしょう。情報や知識を電子書類という形で共有するためには、それぞれの人が好き勝手なアプリケーションで書類を作っていて、他の人にはその書類が利用できないというのではやはり都合が悪い。

そこで、ワープロはマイクロソフト社のWord、表計算はExcelなどと、社内で使用するアプリケーションの統一を図るようになるのは当然の成り行きです。これはつまり、コンピュータで作成する書類のポータビリティを向上して、仕事の効率を上げるということを意味しています。全員が同じアプリケーションを使っていれば、電子書類のポータビリティは最高レベルとなり、何も考えずに他の部署の人に配信して利用してもらうことができます。しかし、これはあくまでも社内だけの話。社外に向けて電子書類を送るとき、途端にポータビリティが最低レベルに落ちてしまうことも多いのが現状です。

「送っていただいた文書が開けまっせ〜ん」

「お送りしたのはWord97のファイルなんですが…」

「当方は一太郎を使っているので駄目ですね」

「一太郎を使っているんですか……(Word97に切り替えろよ)」

「(一太郎に切り替えろよ)テキストのみで保存して再送してください」

「(めんどくさい野郎だな)どうやればいいんですか?」

「(そんなことも知らないでよく仕事になるな)プリントアウトをファックスで送っていただいても構いませんよ」

「(それなら最初っからそう言えよ)今すぐお送りします」

……というようなやり取りをすることも珍しくはありませんね。

痛し痒しのバージョンアップ

ソフトウェアのバージョンアップを手放しで喜ぶユーザーは少ないでしょう。望んでいた新しい機能の追加などの利点の反面、出費がかさむうえに、面倒な手続きやインストールをしなければならない。

さらに新バージョンが必ずしも使いやすいとは限らないといったネガティブな側面もあるからです。一方、ソフトウェアメーカーにとって、バージョンアップは重要なビジネスの糧かもしれません。明らかなバグを修正した無償バージョンアップを除いて、既につかんでいる顧客に最小のコストで製品を直接販売できる非常に有利な機会だからです。

もちろん、ソフトウェアメーカーがバージョンアップするのはそんな商売上の理由だけだというつもりは毛頭ありません(メーカーの皆様、これからもより良い製品の開発を続けてくださいますようお願い申し上げます、本当に)。

新しいバージョンのアプリケーションは、旧来のバージョンで作成された書類も開いて利用できるのが普通です。しかし、その逆も真なりというわけにはいかないことが問題です。

たとえば、QuarkXPress 3.3Jの書類を3.1Jで開くことができないように、多くの場合、古いバージョンのアプリケーションは新しいバージョンのフォーマットで保存された書類を扱うことはできません。また、最新バージョンのアプリケーションさえあれば、常に古い書類も利用できると安心していられるわけでもありません。たとえば、PageMaker 6.0Jの場合、ひとつ前の5.0Jの書類なら変換してくれますが、それよりさらに古い書類はサポートしていません。

つまり、数年前にPageMaker 4.5Jで作成した書類をどうしても再利用しようとすれば、古い4.5Jフォーマットをサポートしている5.0Jを再度インストールして開き、5.0J フォーマットで保存し直したうえ、ようやく現在使っている6.0Jで開いて編集する……という目眩のするような手順を踏む必要があるわけです。古いアプリケーションは、今のようにCD-ROMではなく、フロッピーディスクで供給されていたので、インストールも大変です。さらに、最新のOSとハードウェアでもちゃんと動作してくれるのか、という心配もあります。

このように、同じアプリケーションに操を立てて使い続けたとしても、日々蓄積される電子書類のポータビリティが地にまみれてしまい、結局使えなくなってしまうこともあるわけです。

プラットフォームの違いという壁

プラットフォームというのは何となく曖昧な言葉で、コンピュータの機種(つまりハードウェア)あるいはOS(オペレーティングシステム)とそれぞれ同義のように使われます。また、ハードウェアとOSの組み合わせによる環境だと定義する人もいます。

Macintoshというハードウェアを指してひとつのプラットフォームと呼びたい気もしますが、MkLinuxのようなフリーウェアのUNIXや近ごろ話題のBeOSを入れると、標準のMac OSで動作しているMacintoshとは違うプラットフォームになりそう。

また、MacintoshにSoftWindows 95のようなエミュレーションソフトウェアを入れて使っていたとすると、Windows 95を搭載した純粋なWindowsマシンに限りなく近い、けれどもハードウェアの方はやはりMacintoshで、エミュレーションソフトウェアの下ではMac OSもいつも通り走っている……これは一体何というプラットフォームと呼ぶべきか迷ってしまいます。

その昔、いわゆるPCの世界ではハードウェアの機種の違いが大きな関心事でした。NECのパソコンも富士通のパソコンもDOSというOSが動作しているにもかかわらず、アプリケーションにはNEC版と富士通版などがあり、あたかもメーカー別に細分化されたプラットフォームがあるような摩訶不思議な状態が続いていました。新聞などで「基本ソフトウェア」と表記されているように、OSは本来ならディスクの読み書きなどのコンピュータの基本的な動作を担い、ハードウェア間の違いを吸収してくれる存在でしょう。だから、MS-DOSが動作しているコンピュータならどのマシンでも同じアプリケーションが使えるはずだったのですが……。NECのPC9801はフロッピーディスクのフォーマットまで他のDOSマシンと違っていて、データのやり取りができまっせ〜ん、などという苦労もありました。

しかし、DOS/Vが登場し、それからWindowsへという流れの中で、こうした訳のわからない状況も改善され、異なる機種でも同じアプリケーションが使えるようになってきました。メーカー別の機種という観点から見れば非常に多種多様であっても、Windows が搭載されているコンピュータをひとまとめにWindowsプラットフォームと考えて差し支えない状況になったわけです。

プラットフォームについての細かいことはさておき、全世界のパソコンの9割を占めるといわれているWindowsマシン、そしてシェアの落ち込みにもかかわらず根強い人気があるMacintosh(Mac OS)の2つのプラットフォームを例にとって、異なるプラットフォーム間での電子書類のポータビリティを考えてみましょう。

オフィス環境ではWindowsが圧倒的多数を占めていますが、DTPやデザインの分野ではMacintoshが今だに主流です。DTPで最も普及しているプロフェッショナル向けのレイアウトアプリケーションといえば、QuarkXPressとPageMakerでしょう。Windows版がまだ発売されていないQuarkXPressに対して、PageMakerは同じバージョンのMacintosh版とWindows版がほぼ同時にリリースされています。操作性も同じで、いずれのプラットフォーム上で作成した書類も相互に開いて編集することができます。このことからPageMakerは、 MacintoshとWindowsという異なる2つのプラットフォームを跨いだ“クロスプラットフォーム”のアプリケーションと呼ばれています。こうしたクロスプラットフォームのアプリケーションを使っている限り、電子書類のポータビリティも保証され、MacintoshとWindowsが混在した職場であっても何不自由なく書類の共有が可能。さらに、会社で使っているのがMacintosh、家ではWindowsという状態であっても安心して仕事を持ち帰れる……だからクロスプラットフォームのアプリケーションを使えば誰もがハッピーになれる? 現実的には、そう簡単にハッピーエンドにはなりません。

試しに、Windows上で作成したPageMakerのファイルをネットワーク経由あるいはフロッピーディスクなどでMacintoshに持っていって開いてみると……あれあれ?「○△○◇のコピーを開きます」というメッセージが出て、どうやらデータの変換をしているようです。続いて、フォントの置換のダイアログが表示され、置き換えられるフォントの対応リストがずらっと並びます。構わず「OK」ボタンをクリックすると、今度は変換オプションを指定する画面になりました。「リンクファイルの名称を変換」とか「メタファイルをPICTに変換」などという難しそうなオプションがあります。何も指定せずにそのまま続行すると、無事に書類が開けたようです……が、喜ぶのはまだ早い。段落に収まっていた文字が溢れている部分があります。それに、グラフィックが×の付いたボックスになってしまっている!

文字が溢れ出てしまったのは、フォントが置き換えられたからです。 MacintoshとWindowsマシンの両方に同じフォントが入ってさえいれば問題はないのですが、DTPで一般的に使われているポストスクリプト(PostScript)の日本語フォントはMacintosh用のみ。DTPで使われている書体の最大手メーカーであるモリサワとフォントワークスも現在のところはまだMacintosh用のポストスクリプトフォントしか販売していません。両方のプラットフォームで同じ書体(といっても製品は別々)を使えるのは、ダイナラブなど一部のメーカーが出しているTrueTypeフォントに限られてしまいます。

確かに、同一のプラットフォームという枠内であってもフォントがらみの問題から逃れられるわけではなく、相手が同じMacintoshであっても、書類の中で使われているのと同じフォントが入っていないと置き換えが起こってしまいます。しかし、同一のプラットフォームであれば、そのフォントを買ってきてインストールするという一応の解決方法があります。いくらお金を積んでも同じフォントが入手できないという場合は完全にお手上げです。

グラフィックが×の付いたボックスになって表示されたのは、割り付けられているWindowsのメタファイルのグラフィックをPICTに変換しなかったためです。書類を開くときに出てきた変換オプション設定のダイアログで「メタファイルをPICTに変換」を選べばMacintosh上でもちゃんと表示されます。

しかし、両方のプラットフォームの間を書類が行き来するたびに画像の変換を繰り返すと、画質がどんどん劣化してしまうという問題があります。MacintoshとWindowsの間でピンポンのように書類をやり取りして共同作業をしたいときには、変換の必要のないTIFFなどのフォーマットの画像を初めから使うような工夫が必要になります。

このように、プラットフォーム間には、フォントや画像フォーマットの違いなど、クロスプラットフォームといわれているアプリケーションでも吸収しきれない問題が存在しています。それが、プラットフォーム間で自由に電子書類をやり取りすることを妨げている壁なわけです。