情報の発信者と受信者の役割の変化

情報伝達を一連のプロセスと考えると、その両極端には情報の“発信者 ”と“受信者”が必ず存在します。発信者とは情報を生産する人であり、受信者とは情報を消費する人ということになります。従来の紙を媒体とする情報伝達における発信者の役割は、電子的手段を使うか否かにかかわらず、ページという単位で形にした情報を紙に転写(つまりプリントアウトなり印刷なり)して、それを受信者に渡すというものです。受信者の役割といえば、単純に紙に転写されている情報を消費(つまり読むなり眺めるなり)するだけです。PDFの登場によって、こうした厳然たる役割分担が変わることが予想されます。それは、発信者が情報を電子的に受信者に手渡し、それを受信者が紙に転写するという形態が出現するからです。この発信者と受信者の役割分担が変わる、ということが情報伝達の今後のあり方にさまざまな変化をもたらす可能性があります。

本格的な電子配信が可能に

情報の発信者と受信者の役割分担が変わることによって、情報の配信方法に大きな変化がもたらされることになります。内容と表現のポータビリティを備えた PDF書類で情報を伝達することになると、効率のいい電子的な方法で配信しない理由は何もなくなります。特に、通常の書類ならPDF化したときに圧縮されてファイルサイズが小さく(10分1とかに)なるので電子メールで送信するのに最適です。このことは、我々が日常的に使っているファックスがさらに進化したような配信方法だと思えばわかりやすいかもしれません。ファックスで情報を送るとき、電話線の上を流れていく(配信される)のはデジタルあるいはアナログのデータです。それを紙に転写するのは受信者側の役割です。紙に転写するコストも手間もすべて受信者が負担することになります。だから、頼みもしないのに勝手に入っているファックス広告には腹が立つわけです。

ファックスでは文字が不鮮明だとか写真が真っ黒で見えないといったことに悩まされますが、PDF書類ではまったく問題になりません。さらに、紙に転写するかどうか受信者が決められるという点も重要です。もし、不要な広告やダイレクトメールがPDF書類の形式で送り付けられてきても、そのままコンピュータ上のゴミ箱に入れて始末できます。

オンデマンドの情報伝達

印刷工程では、部数が少ないと1部あたりの単価は非常に高くなります。それは、印刷代のうち印刷機の稼動と紙のコストが占める割合は小さく、それ以前の制作(写植や割り付け、版下の作成、製版など)にかかる大きなコストは部数に左右されないためです。つまり「1部あたりの印刷代=(制作コスト/部数)+紙代+刷り代」なので、部数が多ければ多いほど、単価が安くなる仕組みなわけです。会社案内を100部だけ作りたいので見積もりしてください、と印刷屋さんに頼むと「まあ、100部なら100万円。100,000部でも200万円ポッキリだから、そっちの方が得ですよ」という感じになります。100部では1 冊あたり1万円、100,000部なら1冊あたり20円! それなら思い切って100,000部にしよう……ということで、事務所が一杯になるほどの会社案内が納品されることになります。翌年にはそのほとんどが古紙回収に回る運命でしょう。もっとも、そうして経済のサイクルが回転し続けるわけですが……。

このように大量生産によるスケールメリットが顕著な印刷の仕組みでは、少ない部数しか必要のない書類、そしてどれほどの部数が必要となるのか不明な書類に対処するのは難しいのが現状です。この問題を解決するための方策が、需要に応じて刷る「オンデマンドプリンティング」です。ゼロックス社のドキュテック(DocuTech)という、コピー機のお化けにコンピュータを付けたような出力装置を使い、クライアントの要求にしたがって、その都度必要な冊数を印刷・製本して納品するサービスもすでに行われています。ドキュテックの出力部分はポストスクリプトベースのレーザプリンタとほとんど変わりません。普通のプリンタと同様に、PageMakerやQuarkXPressといったアプリケーションで作成した書類を MacintoshやWindowsマシーンからネットワーク経由でプリントすることができます。ドキュテックがユニークなのは、ラスタライズされた(つまり、ポストスクリプトのアウトラインデータからページ単位のビットマップデータに変換された)データを蓄積しておき、いつでも部数を指定するだけで簡単に出力できるという点です。ソータと中綴じの製本機がセットになったシステムも構築できるため、少ない部数の印刷も短時間に低コストで処理できます。

このオンデマンドの仕組みは、PDFのように電子的な紙で情報を流通できるようになると、さらに高度で効率のよいやり方に進化します。そのことは、この章の冒頭で紹介した、アメリカの国税局が税金の申告書を紙だけでなくPDFなどの電子書類でも配布しているという例を考えてみれば明らかでしょう。

税金の申告書のような書類は多種多様であることに加えて、それぞれ膨大な量が消費されるわけですから、紙の形態で配布するためには印刷から保管、輸送などあらゆる局面で多大な費用がかかります。それぞれの納税者に申告書を手渡すコストも大きな負担となります。また、税制がちょっとでも変わると申告書も変更しなければならなくなり、倉庫に山積みになっている古い書式の在庫がすべて廃棄処分になってしまうこともあるでしょう。

アメリカの国税局のような電子的な書類の配布方法では、情報の発信者と受信者の役割分担が変わっていることがよくわかります。発信者である国税局は情報を紙に転写しないまま配信しており、受信者である納税者が各自プリントアウトするという方法で紙に転写するわけです。このとき、印刷コストはそれぞれの納税者の側に移行しています。さらに、WWWページからダウンロードするとき、情報の流通コストも納税者が負担することになります。それはけしからん!と怒る人がいるかもしれませんが、よく考えてみれば、紙の形態で配布することによって生じる無駄な費用はすべて納税者が背負っているのですから、無駄がなくなる分だけ負担が少なくなっていると理解するべきでしょう。さらに、申告書の記入方法を説明した書類などもPDFで配布されています。そうした情報を紙に転写して読むかどうか、各自が自由に選択できるという点も重要です。書き方がすでにわかっている人はダウンロードする必要もありません。また、画面で読めば事足りる人は、プリントアウトしなくても済ませられるわけです。こうした小さなことの積み上げも、税金の無駄遣いを減らすためには無視できません。

実際、電子的な書類の配布を実施したことによって、アメリカの国税局は莫大な金額のコスト削減と大幅な人員削減に成功したといわれています。別の見方をすれば、電子書類を電子的に配布するというアメリカの国税局のやり方は、印刷におけるオンデマンドプリンティングの考え方をさらに一歩進めて、情報伝達という大きな枠組み全体でのコスト削減と効率アップを実現していると考えることができます。

情報の消滅を防ぐ

書籍の出版もまた、どれほどの部数が必要になる(つまり売れる)か正確にはつかめない分野です。必ずヒットすると自信を持って出版できる本はわずかで、ほとんどの場合は実際に流通するまで何部売れるかわからない状態でしょう。だからといって、ほんの少しだけ印刷して様子を見るというわけにはいきません。ここでも、大量に刷らなければ1冊あたりのコストが高くついてしまう印刷の仕組みは同じなので、ある程度の部数をまとめて作ることになります。

思惑通りに売れて増刷ということになればいいのですが、期待に反して書店からの返本の山という結果になることもあります。書籍の流通や再販制度の是非についてはともかくとして、現状は本を書店に“お預けして店頭に置いていただく”というのが一般的な流通の仕組みです。返本とは、簡単にいえば書店が売れ残った本を出版社に返して厄介払いをすることです。出版社の方は、返本された本を他の書店に回すといった販売努力を続けますが、売れない本はやはり売れずに残ることになります。ある時点で、廃刊というその本にとっては死刑執行のような決定が下され、返本の山は断裁されて古紙回収へ。本書もいずれはそんな悲しい運命を辿ることになるのか……などと感傷的になっていてもしかたがないので、本題に戻ることにしましょう。

ここで重要なのは、廃刊になった本に載せられている情報はどうなるのかということです。書籍の存在意義を純粋に経済的な面から捉えれば、売れない本は価値がない。だから、消え去って当然という考え方も成り立ちます。しかし、本に載せられた情報の価値は、その本が売れるかどうかという尺度だけで計るべきではないでしょう。情報の価値とは、それを必要とする人がいるかどうかで決まるはずです。

書籍という情報伝達のひとつの分野では、限られた時間内に情報にアクセスしないとそれ以降はアクセス不能(あるいはアクセスが困難)になってしまうというのが現状だといえます。つまり、多くの本は書店に置いてある短い期間に手に入れておかないと、すぐ廃刊になって後から入手するのが難しくなってしまうということです。廃刊になっても、古本屋の片隅で見つかるかもしれないし、どこかの図書館にあるかもしれません。最悪の場合でも国会図書館で探し出して、必要な部分をコピーしてもらうという手もあります。しかし、そうした本に載っている情報をもっと簡単にそして効率よくアクセスできる仕組みがあればいいな、と思っている人も多いはずです。

本が廃刊になるのは経済的な理由です。長い年月の間にポツポツとしか売れない本を在庫しておいても採算はとれません。保管する費用が利益を大きく上回ることになります。本が廃刊になるのは、紙を束ねた媒体上では情報を維持しきれなくなったというだけで、情報そのものの価値が失われた結果というわけではありません。

こうした経済的な問題は、電子メディアで制作した本(まさに本書がそうです)をPDF書類にすることで解決できるかもしれません。紙に印刷した“バージョン”が廃刊になった後は、PDF書類のバージョンを販売するというやり方も可能でしょう。保管するスペースやコストはまったく問題になりません。また、電子的に配信してしまえば販売コストも非常に低く抑えることができます。電子メールやWWWページを使って出版社が直接販売するとか、廃刊になった本のPDF版を専門に扱う通信販売の書店を開くなど、さまざまなやり方が考えられます。PDF版の本を購入した読者は、どうしても紙の上で読みたければ自分でプリントして製本することもできるし、面倒であれば画面で読むこともできます。

本が廃刊になることで情報が失われてしまうというのは、人類にとって大きな損失です。それをPDFという電子的な紙が救ってくれる(本書が廃刊の憂き目にあっても、今書いているこの文章は消滅して欲しくない!)と期待することは決して馬鹿げたことではないでしょう。