ドキュメントの進化
PDFを電子的な紙として捉えたとき、物理的な紙に比べてまだ不便な点が若干あることは事実です。その反面、 PDFは紙をはるかに凌ぐ電子書類特有の優れた機能と表現能力を備えています。ある意味で、こうした電子書類でなければ実現できない機能や表現が、将来的なドキュメントの進化の方向を示していると考えることもできます。
ハイパーテキスト
この章の始めの方で触れたHTMLのケースと同様、PDFもハイパーテキストを実現しています。アーティクルやしおりも含めたAcrobatのハイパーリンク機能をうまく使えば、紙の上に印刷するドキュメントとは違うやり方で情報を表現することができます。マウスクリックで目次や索引から本文中の該当部分を参照できるような基本的な機能に留まらず、脚注や別ページに置いた詳細情報にジャンプできる機能、特定の主題に沿って関連部分をシーケンスとして参照できる機能(アーティクル)など、作者のアイデアとセンス次第で、的確に、そして効率よく情報にアクセスできる高度な本を作ることも可能です。もっとも、ハイパーテキストではこの“作者のアイデアとセンス”が非常に重要なポイントになります。単純に関連情報をリンクしまくるだけなら誰でもできます。読者が、思考の流れを妨げられることなく、それぞれのニーズに応じて必要な情報を有機的に辿れるように、きちんとしたコンセプトなり筋書きに沿ってリンクを準備すること。そうしなければ、ただの“ハイパーテキストもどき”になってしまうことになります。
マルチメディアへの対応
PDF書類には動画やサウンドを含めることができます。たとえば、音楽の解説をしている文中で実際にそのメロディーを聴けるようにサウンドを含めたり、話題に取り上げている映画のシーンを挿入するといった、マルチメディアのコンテンツと同様の高度なドキュメントもPDF書類で実現することが可能です。
機密保持
紙に転写された情報を他人の目に触れないように守る方法は限られています。実用的に実行できるのは「機密」という判子を押して、鍵のかかるキャビネットや金庫にしまうことぐらいでしょう。物理的に人の手に渡ってしまえば、もうお手上げです。しかし、PDFのような電子書類の場合は、暗号化やパスワードの設定などによって書類を守ることができます。PDF書類では、ファイルを開く際にパスワードを要求するように設定できるほか、使い方を制限することもできます。具体的には、内容のコピーや変更ができないようにするとか、プリントすることを許さないように設定することが可能です。
こうしたPDFのセキュリティ機能は機密保持以外にも利用することができます。たとえば、WWWページを通じて有料の情報を特定の会員に配布したいようなときにも役立ちます。PDF書類を作成してパスワードを設定し、会員だけに知らせることにすれば、一般の人が書類をダウンロードしても開くことができなくなります。つまり、PDF書類なら料金を払った会員とそれ以外の人を簡単にスクリーニング(ふるいわけ)することができるわけです。
PDFは電子的なフォームを実現する機能を備えています。もっとも、前出のインデックス機能と同様に今のところ英語版Acrobat 3.0でしか使えない機能ですが……。PDFのフォーム機能を使えば、特定の選択肢から選ぶような部分はポップアップメニューやチェックボックスにしたり、ひとつしか選んで欲しくない部分は複数選択できないラジオボタンにするといった、電子メディアの特長を活かした便利なフォームを作ることができます。また、電子的に入力できるようになると、手書きの字に自信のない人、およびその汚い字を読まなければならない人の両方に喜ばれることになります。
タッチアップ
これもまた日本語版のAcrobatではまだ使えない機能です。英語版の*Acrobat 3.0では“Touch-Up”というプラグインを入れることによって簡単な文字の手直しができるようになっています。本格的な編集機能ではないので“タッチアップツール”つまり修正とか加筆のツールという名前になっているのでしょう。フォントの属性を変えたり、文字に色や下線を付けたりすることもできますが、文字の手直しについてはちょっとした誤字や脱字の訂正ができる程度だと考えていた方が無難です。それでは役に立たないじゃないか、と思う人もいるかもしれませんが、それは間違い。これは、PDF書類の電子的な配信を本格的に行うために必要な機能です。たとえば、本社の弁護士が作成した契約書をPDF書類にして支社に電子メールで送信するようなケースを考えてみましょう。支社ではクライアントと一緒に契約書の内容を確認し、その場で互いにサインして契約成立となる手筈だったのが、クライアントが契約書中に誤字を発見!ということも十分あり得ます。ワープロソフトか何かで作ったオリジナルの書類は本社にしかない(契約書などの場合は支社だろうがやたらにデータを渡しませんからね)としても、Acrobat Exchangeで修正して再度プリントできれば、すぐその場で対処できます。
まあ、ちょっとばかし訂正ができることのどこがドキュメントの進化だ、と突っ込みを入れる人もいるでしょう。これを進化と呼ぶのは確かに大袈裟です、ごめんなさい。しかし、情報が転写され、固定されるという条件ではPDFも紙も同じです。紙の書類の上で誤字や脱字を直すとなると、修正液にお世話になるか切り貼りのテクニックを駆使することになりますよね。修正液使い30年のベテランとか版下作成のプロでもない限り、痕跡を残さずに訂正することは困難です。その点、電子的に修正できるPDFの方が簡単だし、見栄えもいい。だから、これもドキュメントの進化の小さな一歩だと思うのですが……。
情報の再利用
紙の上に載せられている情報を別の形で再利用しようとすると、結構めんどくさいことになります。本の一部を引用したいときは、それを見ながらトコトコ入力しなければなりません。遠い昔に書いたものの一部分を直して簡単に報告書をでっち上げ、さっさと夜の街に繰り出そうと思っても、やはりトコトコ入力するか切り貼りでごまかすしかありません。PDF書類なら、テキストやグラフィックをコピーして好きなアプリケーションで利用できるので、やろうと思えば本の内容を丸々全部引用する(そんな奴がいるか?)こともできます。鋏とのりのお世話になる必要もありません。
情報の蓄積
いつか何とかしようと思いながらすでに10年……という風に溜まっていくのがオフィスにおける紙の書類の特徴のようです。いくらファイルキャビネットを追加しても足りないため、一人が使える容量を厳格に決めている会社もあるそうです。
子供の頃から整理が苦手というだけで日陰者扱いされてきた辛い経験から「書類を整理しないことが一番の整理方法である」というコペルニクス的転換の発想が生まれました。つまり、分類しようとか、必要不必要を判断しようというのは、整理を特技とする特権階級の人々にしかできない芸当だと諦めてしまうわけです。そして、書類は発生(あるいは入手)した順番にただひたすらファイルキャビネットに投げ入れます。余裕があれば、○年○月分などといった仕切りを入れるとより美しく仕上がります。キャビネットが満杯になったら、一番古い方から順番に捨てます。このとき、決して古い書類の中身を見てはいけません(見てしまうと玉手箱を開けた浦島太郎と同様の目に合うことがあるので)。そして、空いたスペースに新しい書類を入れます。たったこれだけ。これこそ、あなたも整理上手になる一番の早道です。
まあ、どんな方法であっても、紙の書類の整理は(1)不要と思われるものを捨てる(2)必要と思われるものを残す、という行為の繰り返しであると定義することができます。そのとき、必要な情報の載っている書類をすぐに取り出せるようにできるかどうかが、整理の達人と凡人の分かれ目となります。当然ながら、世の大多数を占める整理の凡人が書類をしまい込んだ場合、その中から特定のものを探し出すことは至難の技となります。探し出せない、あるいは探すのに長時間を要するような書類は、いくら大切に保管されていたとしても、情報としてはほぼ死んでいる状態であるといえます。
オフィスのすべての書類をPDF書類にできるようになると、整理の凡人と達人の差はほとんどなくなります。それは「書類を整理しないことが一番の整理方法である」という考えに基づく書類の処理方法がより有効な手段となって、凡人であろうが達人であろうが、蓄積・保管された書類上の情報へ簡単にアクセスできるようになるからです。
その具体的な方法を説明する前に、断っておかなければならないことがあります。それは、現在の日本語版Acrobatにはない(英語版にはある)2種類の機能が必要だということです。ひとつは前に触れたインデックス機能、もうひとつはキャプチャ機能です。このキャプチャ機能というのは、スキャナで紙の書類を読み取って、文字をOCRでテキストに変換してくれる便利な機能です。Acrobat Captureという独立したアプリケーションで実現されています。
キャプチャ機能を使えば、ファックスで入ってきた書類でもファイルキャビネットで埃にまみれて死んでいる書類でもPDF化することができます。文字がテキスト化されるので検索も可能になります。このキャプチャ機能とインデックス機能が実際に日本語版Acrobatに実装されたとき、どの程度“使える”機能になるのかという疑問もありますが、ちゃんと実用的に使えるという前提で、究極の電子メディア式書類蓄積・保管方法を具体的に説明することにしましょう。
まず、コンピュータ上で作成する書類は完成した時点ですべてPDF書類にする習慣をつけます。同様に、ファックスで入ってきたり印刷物で渡される書類も Acrobatのキャプチャ機能を使ってすぐにPDF化することにします(すぐに、というのが重要ですからね)。いずれの場合もPDF化した後、紙のバージョンはすぐに捨ててしまいます。よほど重要な書類でない限り。
次は保存場所です。PDF書類を入れるための専用のハードディスクとかJAZドライブといった記憶装置を用意します。それをファイルキャビネットにみたてて、○年○月分といった適当な区分けでフォルダを作ります。そのフォルダにPDF書類を入れます。ひたすら入れます。このとき、インデックスファイルを作成して検索できるようにしておくように。また、定期的にバックアップを取ることも忘れずに。そこそこPDF書類が溜まったらCD-Rに焼きます。もしかしたら、一年分の書類が1枚のCD-R に収まってしまうかもしれません。これでおしまい。
この方式で書類を蓄積すれば、「5年前の1月頃に◇× 商事に提出した見積りの控えを出せ」とか「ざるそばを注文したいんだが、去年もらった長寿庵の出前のメニューはどうした?」などと上司に尋ねられても安心。すぐに検索して探し出すことができます。必要ならプリントアウトも可。AcrobatとPDFのおかげで、従来ならとっくに消滅していたような情報も常にアクセスできる状態できちんと蓄積・保管、さらにデータの再利用さえできるようになる(可能性がある)わけです。