バビロニアの夢が実現

この章の中で、WWWページを記述するHTMLについて「表現のポータビリティがない」というような書き方をしました。まるでWWWページをボロクソにけなしていると受け取った人がいるかもしれませんが、そんなつもりはまったくないということを強調しておきます。決して大袈裟な言い方ではなくてWWWページ(そしてHTML)は素晴らしい!非常に素晴らしい。

実は、 HTMLが表現のポータビリティを備えていないということは、逆にHTMLの最大の利点にもなっています。情報の受信者が好きな書体と文字サイズで(さらに自分に合ったウインドウの大きさを選んで)情報を表示して読めるということは、人類の歴史始まって以来の画期的な出来事です。老眼鏡が必要になった中高年をまったく無視しているようなちっこい文字。読みにくさをわざと狙ったのかと思いたくなるような書体で組んだ文章。そんなものを読まされるのはもう嫌だ!という情報の受信者(読者)の積年の悲願を叶えてくれたのがHTML……つまり、HTMLは情報の発信者(制作者)の押し付けを許さず、弱者(読者)の味方をしてくれるヒーローなのかもしれません。それはともかくとして、最も重要なのが、インターネットという世界中を結ぶグローバルなネットワーク上で誰でも簡単に情報にアクセスできる環境をHTMLが創り出してくれたことです。

紙の上に転写された情報は、本や雑誌、新聞など、どのような形態で供給されたとしても世界中の人々が簡単にアクセスできる、つまり共有できるようにはなりません。しかし、インターネット上の情報は簡単なコンピュータとモデムさえあれば、基本的にどこの国の人でもアクセスすることができます(自国民が得られる情報を制限しようとしている国もありますが)。これまで繰り返し述べてきたようにPDFが電子的な紙となり、インターネット上のWWWページと組み合わさったとき、情報の共有は想像を絶するほどの進化を遂げることになるでしょう。元々紙に転写して配信することを目的にまとめられた情報であっても、PDF化するだけで電子的にアクセス可能となります。どんなアプリケーションで作成した書類であってもそのままの形で簡単に電子的な紙であるPDFに“プリント”できるため、特別な労力は必要ありません。電子メディアで作成されていない書類であっても、Acrobat CaptureのようなアプリケーションでPDF化してしまえば、実質的にあらゆる書類を同じ形式の電子書類に変えることができます。廃刊になって消えていく書籍の情報も、PDF化すれば救われます。

そして、PDF書類上の情報を検索で簡単に探し出せるようにインデックスファイルを作成して、インターネット上に公開する。そうすれば、世界中の人が WWWページのサーチエンジンを通じて、その情報を見つけることができるようになります。ザイールのキンシャサ大学で学ぶ学生が「日本経済の停滞と老齢人口の増加」というテーマで論文を書くために「日本+長寿+健康」というキーワードでインターネット上を検索すると、「そばは日本古来の健康食品です。長寿庵」と表紙に書いてある出前メニューが見つかります。偶然見つかった貴重な資料を活かすために、テーマを「日本経済の停滞と基礎食品の価格の推移」に変え、1997年から2010年までのざるそばの値段の移り変わりからこの時期の日本経済の実態を推測した論文を仕上げるようなことも可能になるわけです。

こうして、インターネットが世界的な規模の情報ベースとなり、誰もがいつでも簡単に利用できる巨大な図書館となります。PDFという電子的な紙とインターネットという無限大のバーチャルな器によって、世界の英知を集めるというバビロニアの図書館の夢が4000年の時を経て実現する……かもしれません。